生活の原点

世界一周のスタート地点をオーストラリアにしたのは理由があります。 それは友達の伝手で訪れたタスマニアの知人宅で過ごさせていただいた2週間。電気、ガスを使わない現代社会から完全に逸脱した環境の中で生活させてもらうという経験からです。 日が昇れば目覚め、日が沈めば眠るといった完全に自然と一体となった生活でした。明るいうちに生活に必要な用事をすませなければならないので、常に与えられた時間で何をするか考えて生活しなければなりません。まさに生きる事が仕事です。

 

例えば料理するにも暖をとるにも火が必要です。その火を焚くには薪を用意しておく必要があります。朝起きて、その日に必要な分の薪を拾う。雨が降るのであれば翌日の分も拾っておかなければなりません。 DSC_1007

 

また水さえも水道がある訳ではないので、洗い物をする際もうまく節約しながら、使用していかなければなりません。 普通の生活の中にはあって当たり前の物がここにはなく、『物がある』という事について常に感謝を覚える事ができる生活をしていました。物がなければ自然から調達するか自分で作る事で十分賄う事ができました。

DSC_0025 現代社会には何でも揃い、手に入るため知恵を絞らずとも必要な情報や物を選んでいけば十分生活をしていく事ができます。しかしここの生活のような一昔前の暮らしは知識や経験から知恵を振り絞って正解を見つけだしていかなければ生活できません。   こういった人として生きていくための生活の原点をここで学ぶ事ができたと思います。不便だからこそ学べる事がある。不便だからこそ感じられる幸せがあるという事を知りました。

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便利な世の中になるに連れで薄れていく、今ある現状に対しての「幸せ」。これは国や文化に関係なく人間に対していえる事何じゃないかと思います。   今ある資源をただ消費していくだけの消費社会がいつまで続くかはわかりません。消費していくからには、そこには必ず消費の限界があるはずです。そして必ず人の生活スタイルについて問われる時がくると思います。その時にこういった生活を知っている人間、「幸せ」を知っている人間は苦労しつつも生活スタイルをシフトしていく事ができるんじゃないでしょうか。   いつそのような時代がやってくるかはこんな僕には見当もつきません。しかし僕たちの子供の世代か孫の世代にはこういった問題が大きく問われている事でしょう。

 

ただし子供は親の背中を見て育つ物です。親がこの様な生き方を見せていれば子供は少なからずそれを知識として蓄えてくれるはずです。現に僕は山口という田舎に生まれ昭和の香りが残る祖父母の家で見てきた事や、親が話してくれた事、見せてくれた事が知らず知らずの内に僕の中に知識として残っているんだなという事を、この生活を通して何度も感じました。
今このタイミングでこういった生活を経験できた事で、今まで自分がしてきた生活やこれからの生活について色々と考えさせられました。人の生活に密着したそんなコミュニティを作りたいと考えている僕にとって、人の生活とその中で得られる幸せについてしっかり考えていく必要があると思っています。そこで世界を周り他国の生活も見て、ここで経験した生活をベースとして人々の生活について考える事ができると思い、ここオーストラリアをスタート地点とする事に決めました。

 

次はインドネシアのバリ島とロンボク島に寄る予定です。 ネットが常にある状態ではないため更新が遅くなる事があると思いますが、インドネシアの人の生活とキレイな海の写真でも撮れればいいなと思うので楽しみにしててください。

 

それでは!

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